家庭にあるものにサバイバルを意識する

家庭用品は、日常生活の象徴のようなものであるが、しかし同時に人間が生存するための道具とも言える。食料と水分を摂取し、体を保温し、睡眠をとるという生存の基本が家庭にはある。現代ではライフラインや各種のサービスに頼ることが多くなってはいるが、少し意識するだけで各家庭のサバイバル能力のポテンシャルを大幅に向上することが可能である。

食料であれば少し保存のきく食品を多めにおいておくだけでかなりの期間は無補給でやっていけるし、水などであればペットボトル飲料などの買い方を少し意識すればある程度はやっていける。水の場合は浄水器の検討をした方が良いとは思うが、ヤカンがあれば煮沸消毒はできるので、味はともかく飲用水の確保はできるだろう。

他にも暖房なしで寒い期間すごせるようにしておくのもよい。布団の重ね方や部屋の断熱などの工夫を重ねると冬の寒さにも対抗できるだろう。これは日々の暖房費節約にもなる。また、サバイバルは何も大災害などのときだけでなく、日常の影にも忍び寄るものである。極寒地では雪に覆われることも多いと思われるが、その際にライフラインと暖房設備が止まる事故があったときに様々な工夫が身を守るものである。

他にも、おしゃれなハイヒールや革靴ばかりでなく歩きやすいスニーカーも揃えてみたり、カーテンなどを買うときに防火対策されたものにしたりすると、少しではあるが生存可能性が積み重なっていくのである。

全て一度に防災対策をするのは大変に過ぎるのであり、できるものではない。なので気の向くもの、交換するもの、移動するもの、新しく購入するものに対して、少しばかりサバイバルを意識してみよう。あなたがもし「あれをこうすればいざというときに役に立つかも」と思いついたなら、それはサバイバル能力を高める一歩である。ありえないと否定せずに少しだけサバイバルと危機的状況に歩み寄って考えてみよう。

備える人々 - プレッパーズという人種

このsuvtechは地震や遭難といった、一時的な危機を生き延びることから、人類社会の滅亡後にも生き続けるところまで対応できる技術を求め考えている。社会の崩壊というと若干大げさに聞こえるかもしれないが、例えば冷戦時代だと核戦争による地球滅亡はありえる話として広く言われていたし、現在でも新型ウイルスのパンデミック(世界的流行)などでの危機が言われている。

日常が終わるかもしれない可能性を聞いたとき、楽観的に考える人と悲観的に考える人に分かれるかと思う。おおよその人は今の日常が続くのだと楽観的に構えるだろう。

一方で、悲観的に、つまり、日常が崩壊することが実際にありうるのだと信じる人々もいる。そういった人々で、破滅の危機に際して、あきらめるのではなく、立ち向かうことで不安と絶望を克服しようとする人々が居る。そうした人々をあらわす言葉がプレッパーズ(preppers)である。

プレッパーズというのは備える人々、ということである。prepareする人々というわけだ。

彼らは食料を備蓄し、水を確保し、頑丈な家に住み、燃料・電気等エネルギーの調達手段を整備する。おおよそ日本にも見られる災害用品を集める人は、プレッパーと呼んでもよいかもしれない。災害の多い日本では3日くらいの備蓄はよくされているし、意識の高い人はより長期間自活できる物資と装備を整えているだろう。

一方で、熱心な人々は、ともすればやりすぎとも見れる備えをしている。2週間の食料なんてあたりまえ。食糧自給のために農園をつくることだってある。市販の備蓄食料はお金がかかるし何が入ってるか分からないから自分で作ってるって人も居る。水だって雨水を集めたり、井戸や川から水を汲み浄水するシステムを作ってたりする。発電機だって準備するし、薪を使って発電する装置を作る人も居る。そして、弓や罠なんかのハンティングの技術を習得し、また格闘技や銃器の扱いなんかも練習する。

こういった人々は本当にやりすぎか、というと実はそうでもない。人間の社会が真に崩壊したとき、実はこの程度の備えでは足りないくらいなのである。ここまでの準備をしても、施設・装備を失うリスクや略奪者の存在が生存を脅かす。実のところ、社会の庇護というのは大変大きく、考えれば考えるほど現代人は社会インフラと法の執行機関に守られていることが分かるのである。

だが、こういった行為が無駄なわけではない。おそらく、こういった備蓄をしている人の方が、そうでない人より長く生きられる可能性は高い。一部地域だけの大災害のとき、備えがあれば乗り切れることは多いし、世界滅亡的な状況であればなおさら重要になってくる。何もしないよりは断然よい。そして、最後には備えることを通して得た知識がプレッパーズの命を守るはずである。

プレッパーズは災害などの各種の危機の不安に対抗しようとする人々だ。平和を求めるなら戦いに備えよ、と古代ローマの言葉にもある。テレビ番組に取上げられる人々のように入れ込まなくてもいいから、少しくらいは備えてみてはどうだろう。

 

Doomsday Preppers: Season 1 [DVD] [Import]

新品価格
¥1,998から
(2013/7/24 12:04時点)

DVDはかなり入れ込んでいるプレッパーズのケースを紹介している。が、大体の場合は足りない部分を多く指摘されている。それほど最悪のケースへの対策は難しい。だが、ある種の部分で極めている人々の話なので参考になる部分は多い。(DVDは日本語版が見当たらない。映像機器に詳しくない人は再生すらできない可能性があるので注意されたし)

災害時に家族と自分が生き残るために確認しておくこと3点

災害時、一分一秒の判断の遅れが命を危険にさらすことがある。そういった非常時に、自分の、そして家族の生命を守るために迅速に行動するための心構えとして知っておくべき事を考えてみよう。

非常時に重要なのは命をなくさないように、自分の命に集中することにつきる。その為に確認し、心得ておくべき3点を紹介する。

1.互いに探すことなく、自らの生存のために動くこと

「津波てんでんこ」という言葉がある。命てんでんこということもあるが、これは危機に瀕してはそれぞれが個々に逃げて命の安全を図れという意味である。どうしても大災害時には他の家族の安否が気になるものであるが、非常事態においては危険がすぐそこまで接近していることがあり、家族を探すような時間はない。もし一人でも自らが逃げず他の家族を探すようなことがあれば、残されたものはその生死に責任を感じてしまうし、また、逃げ遅れた家族を捜索しに行き二次被害が出ることもある。「てんでんこ」はそれぞれがしっかりと自分の身を守ることをお互いに確約し、それを信じることである。自らが逃げることを宣言し、それによって家族が避難しやすくなるのである。

2.自らの家族以外の集団は過度に信用しないこと

災害時においては大なり小なりパニックが生ずるものである。これは集団が大きくなればなるほど発生の頻度は上がり、また収集できなくなった際の被害が大きくなる。日本は職業意識が強い人が多いのか、あまり問題となることは少ないが、例えば外国では船舶が沈没するときに船長が適切な行動をとらず、被害が大きくなった例がある。したがって、自らがまず冷静になって、外部のアナウンスに惑わされず危険を察知しようとすることが重要だ。また、前述の「てんでんこ」と異なるが、子供が学校や幼稚園等にいる場合には、可能な限りそこに行き子供の安全を確保したほうが良い。こういった集団は統率を取ったり、移動の決断をしたりするのに時間がかかり、迅速な行動がとりにくいからだ。実際に、避難の遅れから被害を受けてしまった例もある。自分の判断で避難ができない年齢の場合、親が集団から引き剥がしてでも安全を確保するという意識が必要だ。

3.まず身一つが確保できれば良いとしておくこと

様々な災害用の準備をすると思うが、そのすべてはまず命が助かってからのものである。が、それにもかかわらず、重たい持ち出し袋に飛びついてしまう。人間のとっさの判断というのはなかなか難しいもので、用意して、もって出るのだと思っていると何が何でももっていかなければならないような気分になってしまう。そうではなくて、家族と自分の命がまず助かればよいのだという意識を常に持っておくことで、何より大事な命を守る行動ができるようになる。

心構えの有無が生死を決することもある

自分で考え行動できるものは自分の身に集中できる事前準備を整えておくことこそが緊急時の迅速な判断を可能にする。うろたえて貴重な時間を浪費しないように、最善を尽くせる心の準備をしておきたい。