サバイバルナイフはサバイバルには向いていないんじゃないかという話

サバイバルの話をしていると、サバイバルナイフの話が出てくる。サバイバルという言葉がついているナイフであるからそれは至極当然というところはあるが、さほどサバイバルについて知らない人々がイメージするほどサバイバルナイフはすごいものではない。少なくともサバイバルに備えるためにサバイバルナイフを用意するというのはいい選択肢といえるものではないだろうと思う。

そもそもサバイバルナイフとはなんなのか。マスコミなどでは大振りのナイフをまとめてサバイバルナイフということがあるようであるが、そういう分類であると戦闘用や狩猟用のみならず格好だけのナイフも含まれてしまう。これは映画などでサバイバルナイフが派手に扱われたために起こった現象だろうが、もとはサバイバルナイフは軍で用いられたものである。他の全ての装備を失っても生存できるように設計されたものをサバイバルナイフともともと呼んでおり、その為にナイフのグリップに小物入れがあったり、方位磁石がついていたり、背に鋸様の刃がついていたりするのである。また、軍での生存とは戦闘での生存も含むため、対人戦闘でも十分使えるように設計されている。

さてサバイバルナイフの設計思想をみると、やっぱりサバイバル用じゃないか、と思うだろうが、しかしその機能を発揮させるのはその為にしっかり訓練した者でないと難しい。そもそもナイフでの戦闘は特殊な技術であり、素人だと長い棒を持って戦ったり石を投げた方がまだ効果がある。またサバイバルナイフに盛り込まれた機能は、一つの機能のために他の機能が使い難くなったりするし、強度にも影響してくる。背中の鋸刃は背に手を当てて工作することを難しくする上にそもそも大振りな刃は細かい作業には向かないし小物の入るグリップは強度が下がりがちになるなど、中途半端な性能であるとも評価されるのである。

それでは訓練されてない一般人は何を持てばいいのかというと、一つのものでなく複数の道具に役割を分担させて用意するのがよい。そもそも一つのナイフに全て収めようとするから無理が出るのであって、無理の無い範囲の機能を盛り込んだ道具をいくつか持つことでこれは解決できるのである。例えば様々な工作はツールナイフの類、大雑把な工作や薪割りなどは斧(小型のものもある)などで効率よく作業できる。またナイフでは難しい穴掘りに小型のスコップを用意するのもいいだろう。そうしたものを、他の小物と一緒に小さなパッケージにまとめてしまえばおおよそサバイバルナイフですることを、より簡単にこなせるだろう。

サバイバルナイフは訓練されたものが、ほぼ裸同然の状態でナイフ一本もってサバイバルするときの装備である。大変見栄えがするものであるが、素人には無理である。無難でやりやすく、しかも効率的な方法で確実にサバイバルに備えよう。

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妖怪と先人の教え

突然だが、一部の妖怪は実在する。しかもサバイバルと関係したような妖怪も結構居るのである。

何のことを言っているかというと、妖怪の起源の話である。そもそも妖怪は神話と同じように当時説明できなかった現象をわけのわからない存在に仮託していたものである。神話では現在でもはっきりしない世界の始まりや死後の話を説明しようとしているが、妖怪ではもう少し身近なものを説明しており、そのいくつかは科学的に解明されている物である。

そういう話で、妖怪は実在しているということを言ったのであるが、実は妖怪のなかには人間の体に襲い掛かる現象を扱っている物がいくつかある。これらの妖怪は昔の人が出会った危険な身体的状況の様子であり、それを知っておくことで危険な状況を回避することも出来るかもしれない。妖怪は数多く全てを知っているわけではないが、私が気づいたいくつかの例を紹介しよう。

まずは「塗壁」である。大変に有名な妖怪であるが、娯楽作品での登場が多くて実際がよく知られていない妖怪でもある。もともとは歩いている途中に「見えない」壁に行く先をさえぎられるという妖怪であるが、対処法も色々といわれている妖怪でもある。足元を棒で払うとか、タバコで一服するとかが対処法として言われているが、私の思うところではこれは歩みを止めてしばらくするとまた進めるようになるということであろうと思う。すなわちこれは運動しすぎの際に起こる「ハンガーノック」状態であるといえる。運動により極度の低血糖状態に陥ったときに起こりうる症状なのである。

このハンガーノックの状態をより的確に表現したのがヒダル神(ダル神・ダルとも)である。これも突然動けなくなる妖怪なのであるが、対策として米(多くは握り飯)を食べるというのがある。ハンガーノックからの回復は糖質の補給をすることで早くなる。また米の実物がなければ米という字を手に書いて舐めるだけでもよいとされるが、これは休憩を取れということだろう。おそらくその場合は糖質補給するのと比べてかなり回復は遅いはずだ。

妖怪は親が子に危険を教えるために作られたものも多いし、現代ではエンターテイメントのために作られたものもあるため実際に役立つものを見つけるのは困難だ。最近のゲームで妖怪を扱ったものがヒットしたおかげで妖怪自体は有名になったが、その裏に隠されている警告や不思議な現象は忘れ去られかけている。先人の文化を楽しむだけのものに捉えず、そのなかの知恵を探し、大事にしていきたいものである。

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節目にて、防災の意識を振り返る

3月11日が近くなると、世間は防災や復興の話題でいっぱいになる。もちろん、これは東日本の大震災がその日にあったからだ。日本の防災意識の転換点の一つとなった大災害である。

もう一つ転換点であろうと思われるのは阪神大震災である。私が子供のころに阪神大震災があり、その当時、大変インパクトがあったものである。意識の高い人々はしっかりとその当時から防災対策を進め、また国や自治体などの機関も整備を進めていた。私もしっかりとした意志をもってではないが、災害に対する不安と自分の力のなさに対する不満をくすぶらせていた。私が自覚を持ってサバイバルに傾倒したのは外国の番組(ベアグリルスのサバイバル番組だ)であるが、震災当時の報道等からうけたトラウマ的なショックから来る感情で何が何でも生き残る技術というものに憧れを持ったのではないかと思っている。

しかしながら長いときが経ち、震災を知らない子供たちすらも大きくなり、人々の記憶から薄れ始めていた。もちろん、他にも大きな地震はそれまでにあったが、建築基準や救助等の対策のおかげか被害は限定されており、日本全土の目を覚ますほどではなかった。そこに東日本の震災である。ご存知の通り、地震だけでなく津波によっても大きな被害が発生した。

阪神淡路の震災では地震に対する強固な対策という形で日本が変わったが、東日本大震災では何が変わったのか。私が考えるに、それは人々の意識だ。それまでは、救助機関等の訓練や建物の補強といった、自分のものでない対策でしかなく、個々人の行動指針や個人の装備といった自分自身の準備は一部の防災意識の強い人々だけがしていた。しかし今ではそういった意識の高い人々は増大の一途をたどり、災害対策がムーブメントといえる規模になっているようにも見える。

もしかすると時が経てば記憶が薄れ、意識の高い人は少なくなってしまうかもしれない。しかし、suvtechにまで流れ着いてこられるような皆様方にはそのような心配は無用であろうか。日々、あるいは遠い先にも活躍する場がなくとも、技術と知識を高めておき、万が一のときに正しい道、生存できる方策を示せるものになれるように、ともに学べる場であれるように努力していく所存である。