カメラの危険 : 危機感を遠ざけるファインダー

ちかごろ災害の報道を見ると、被災の瞬間の映像がよく見られるようになった。これは携帯電話などにカメラが搭載されて動画が手軽に撮れるようになったためで、個人の撮影したものが報道機関に投稿されたものも多い。

こういった動画を見ていると、撮影者が危険な位置にいる場合も多々ある。竜巻の迫る中、また津波で増水する川の付近で撮影された映像などは撮影者にかなりの危険があったはずである。危険な状況を撮るというのは、すなわち危険な場所にいるという場合がほとんどであることを大抵の人間が理解できるはずであるが、どうして逃げずに撮影を続けてしまうのであろうか。

こういった行動は、手軽なカメラが普及する前は戦場カメラマンなどであることが知られていた。危険な場所で撮影するカメラマンは、よく気をつけていないと危険な場所に踏み込み過ぎてしまうというのである。一説によると、レンズを通したこちら側は安全なような気がするとか、もしくは現実感が薄れるとか、そういう気になるそうだ。(こういった心理に心理学的な現象名が付いているかは、申し訳ないが知らないが)おおよそそういったエピソードを見聞きする限り、実際に危険に近づきすぎる傾向があることは昔から存在するようである。

無論そういった画像は災害研究の有用な資料になりうるが、しかしながら生存を第一に考えるサバイバーとして考えるならば写真や動画の撮影にかまけて自らの身を危険にさらすことは厳に慎むべきである。多くの人に見られる突発的な行動・心情は自分にも訪れるものであるということをしっかりと認識し、万が一にも撮影などして逃げ遅れることがないように、まず第一に避難と安全確保を行うことを再度しっかりと肝に銘じるべきであろう。

危険を意識する想像力をもつべし

非常事態は突然にやってくることが多い。地震や竜巻など、突如おとずれて破壊をまきおこすものであるが、その前兆はほとんど発見できるものではない。しかもそれは自然災害だけでなく、事故などの人災、また通り魔などの犯罪者も脅威である。近頃では車で故意に人ごみに突っ込むような事件もあり、街中でも危険は確実に存在するのである。

そうであるがゆえに、常に生存のために行動する必要があるということになるのであるが、その一方で常に気を張って警戒し続けているのでは疲れてしまう。精神の疲れは判断の遅れや間違いを生むことになり、結局のところ逆効果になってしまうこともある。と、なるとどうするべきなのか。

少しばかり分かり難い話になるが、対策としては、気を使うという範囲で危険に対しての心構えを持っておくというのが良いと思われる。日常生活の中で、例えば戸棚を見て、地震のときは物が落ちてくることもありそうだなとか、交差点で運転を誤った車が来ることもあるんだよな、といった少しばかり想像力を働かせる程度でよい。日常で折に触れてそういった想定を繰り返すことで、非常時に動揺を少なく抑えて素早く行動できるという効果が期待できる。

常在戦場という言葉があるが、その域に達するまでは少しずつの積み重ねが必要だ。ちょっとづつの想像力を日々働かさせることで、常に生き残るために適切な行動に移れるように訓練できるはずである。

ウォーキングが身を助ける

災害時、非常時、何かあったときに一番信頼できる移動手段とはなんだろうか。鉄道はレールが歪めば安全な運行は難しく、有事の際には道路は事故や道路の破損などで自動車の往来も難しくなる。二輪車でも悪路では極端に性能は悪化し、訓練を受けていなければ走行は難しいだろう。このように交通が麻痺したときに一番信頼できるのは己の足、つまり徒歩での移動である。

首都圏であれば、帰宅難民という言葉も多く聞くことがあるかと思うが、交通機関が停止したときには長距離を歩いて数時間かけて帰宅する必要がある場合もある。移動手段が他に確保できない場合においては歩くほかないのである。もちろん、軽微な交通障害であれば復旧まで待つ手もあるのであるが、避難時にはそう悠長なことを言ってはいられないし、大規模災害だと交通も復旧までかなりの時間がかかるために結局、労力をかけても徒歩で脱出するほかないとなるわけである。

したがって、歩行能力を鍛えておくことは避難能力を鍛えるということにつながるものである。あまり運動をしていないと一時間にも満たない歩行で膝に痛みをおぼえたりもするほどであり、そんな状態では適切に避難できるケースは限られてくる。どのようなところからでも安全な場所まで避難できるように、またその後の活動に支障がないように、歩きなれておくということは重要である。

その為に、日々折を見ては散歩なりウォーキングなりをすることをお勧めする。極々単純で、しかも軽度な運動であるが、自らの歩行の速度やあるいは徒歩での移動距離の限界などをある程度体感することもでき、しっかりと歩行の訓練になるものである。また、体力の増進につながることも期待できる。サバイバル時には体力は重要で、しっかりとした体ができていれば少しのことで調子を崩すこともなくなるだろう。

サバイバルは一つの道具や一つの対策だけでできるものではない。一つ一つの対策の積み重ねが生存のための土台となっているのである。ウォーキングも単なる健康法から一つ追加の価値を見出して行えば十分サバイバルの訓練となるのである。